総合芸術としてのコンピューターソフトウェアの構築物

俺たちWebデザイナーの憧れであった(今も)yugopさんが、現在のWeb業界はプレファブなものづくりが跋扈していて「総合芸術としてのコンピューターソフトウェアの構築物」の多くは失われてしまった。と語っていてグッときてしまった。

wired.jp

中村 世の中のものは、企画書からディテールへとトップダウン的につくられていることがほとんどだと思います。でも、どうしても予定調和の印象が生まれてしまいますよね。もちろんそれを打破するための企画をつくる人もいるんだけど、ぼくはどちらかというとディテールからボトムアップ的に積み上げていくことで、予定調和を逃れた全体をかたちづくっていこうという考え方です。

よく言っているのですが、住宅をレンガから考えるような感覚です。プランや間取りから入るのではなく、この面白いレンガを生かすためにはどういう家ががいいだろう、というような。ゲーム業界はそうしたカルチャーが残っているなと感じます。「総合芸術としてのコンピューターソフトウェアの構築物」というカルチャーは、いまやとても狭いところでしか共有されていなくなっている気がするんです。

川田 ゲーム業界にはそれが残っているんですね。

中村 ウェブはライブラリ文化が強くて。アップルっぽいデザインのUIキットを切り貼りしていくような、レゴブロック的なものづくりが増えている気がするんです。全体の企画ドリブンで、あとはパーツを組み合わせるというようなつくり方ですね。そのフォーマットにすべてのものがはまってしまっていて、単なるライブラリの勉強になってしまうんです。

さらに最近ではAIが出てきてコーディングもしてくれるとなると、二極化がさらに顕著になっている気がします。そこから面白いものができることもあるのですが、ぼくはあんまり興味ないですね。

川田 それはとてもわかります。出来合いのもので料理をつくるみたいな感じがありますよね。素材の切り方から考えていない。ゲーム業界のミールキットみたいな*1

中村 (笑)。冷凍食品とまではいかないけれど、あらかじめ切ってある野菜を使っている雰囲気がありますね。

10年くらい前なら「yugopはこっち側からこの状況を打破してくれるんじゃないのかよ〜」とか言ってたかもしれないけど、最近のアドブロッカーとWeb広告の話とか見てても、もうカルチャーとか言ってる場合じゃないんですかねー

20年くらい前なら「PVをお金に変える仕組みが!資本主義の悪魔が俺たちのWebを!」とか言ってたかもしれないけど、そのお金でご飯食べていたし、おかげでWebも大変発展したし。

あと、ゲーム業界に「総合芸術としてのコンピューターソフトウェアの構築物」というカルチャーが残されているとして、なんか上手く近づけないのはWebほどオープンな感じがしないからなかー。

いや、そんなことないのか?どこかにそういうオープンなシーンがあったりするんだろうか。

でも確かにUnityとかネイティブアプリの方が高度な表現もできるし。カメラもついてるしセンサーもたくさんついてるし。総合芸術を表現するにはもってこいのプラットフォームだよな。

そもそもウェブに「総合芸術としてのコンピューターソフトウェアの構築物」というカルチャーがあったのか??確かにあった気もする。レンガを面白がって家を立てている人たちがいて、そういう人たちが業界をひっぱっているような姿を見ていた。

でもドメインごと消えていってしまった。

一つの広告媒体にお金をかけていた時代に、ウェッブではこんな新しい表現ができるっすよ!っていう勢いがマッチして、たくさんお金が使われていたのもカルチャーのを支える力だったのかもしれない。

そんなお金は細切れの媒体に投下されるようになり、インプレッションを伸ばすことが目的でWebはそのまな板みたいになってる。

ちょっと前まではSNSと連動した面白いキャンペーンもあったような気がするけど、揮発性が高かったのかあまり記憶になかったりする。そもそもプラットフォームもいろいろ大変そうだし……。

あまりに揮発性が高すぎて、素材の面白さを生かすようなものづくりをしている時間も余裕も無くなっちゃったのかも。

でも、なんかいまだにMax CooperのPVとか出てくるとめっちゃ興奮するし、Figma(がもたらしたWebデザインへの影響は別として)とかは、見方によってはWeb技術の集大成だとも思うし、何かまだ燻りは残っていていつかまた燃え上がるんじゃないかって。うっすらと期待してしまうんです。

*1:川田さんが言っている「ゲーム業界のミールキット」って表現がよくわからなかったんだけど、ゲーム業界ではプレファブを組み合わせたようなものを"ミールキット"って言うの?