「一生けんめいすると、何でも面白いと思った」

YAPC::Hiroshima 2024の翌日、一度は足を運んでおいた方がいいだろうと、広島平和記念資料館へ行った。

ここには、1945年8月6日に投下された原爆が残した惨状の記録が多く収められている。

生々しいものも含めて様々な資料の展示があったが、中でも8月5日で終わっている日記が強く心に残ったので、これだけ撮影させてもらった。

太平洋戦争も末期、決して平穏な暮らしではなかったろうが、それでも両親と妹と過ごした日常の様子がいきいきと綴られ、最後に「一生けんめいすると、何でも面白いと思った」と締めくくられている。

当時13歳だった梅北トミ子さんはこのページを書いた翌日に被爆し、その2日後に亡くなった。

何かに一生懸命に取り組み、それを面白いと感じるのは、まさに生きることそのものだ。

しかし戦争はその生を奪ってしまった。

彼女の未来は消されてしまった。

白紙のページがその悲しさを伝えてくる。

この(今のところ)平和な日本に生きていても、時折自分のやっている事や生きていることの意味を問いたくなる時がある。

しかし、あの戦禍の中であっても、13歳のトミ子さんは「一生けんめいすると、何でも面白いと思った」のだ。

生に意味を求めるのは難しい。むしろそこに意味はないのかもしれない。

それでも懸命に生きることはできる。

この日記は戦争の悲惨さや、それが奪ったものの大きさとともに、もう1つのメッセージを投げかけているように見えたのである。